若い頃から服は好きだったが、今は流行と無縁のクラシックスタイルに落ち着いている。歳をとって保守的になったわけではない。いわゆる流行から身を引くようになったのには理由がある。
私が流行に違和感をもち、距離を置くきっかけとなったのは、「懐かしいですね」という言葉だった。
若い頃、シルバーアクセサリーが流行していた。ファッション誌でもよく特集されており、私も専門店で買ったことがある。そのアクセサリーを三年ほど経って身につけていくと「それ、懐かしいですね」と言われたのだ。
流行品が時間とともに古く見えるのは承知していた。しかし私が着けていたものは、あからさまな流行アイテムではなく、マイナーなブランドのものだった。しかもシルバーアクセサリーは経年変化を楽しむものだと、当時のファッション誌でも謳っていなかったか。それが数年で懐かしい扱いを受けたことに違和感を覚えた。
また、別の行きつけの店では、前年に買ったTシャツを着ていくと「大切に着てらっしゃるんですね」と言われたことがある。嫌味ではなかったのだろうが、あたかも一年で使い捨てるものを、今も着続けているかのように言われた感じがした。
ファッションブランドが「今年の流行」として生み出した商品が、次々と入荷され、売れていく。そのサイクルの渦中にいる店員は、一般の人よりも流行に敏感で、去年の品でも「懐かしい」と映るのだろう。
結局のところ、私はファッション業界が利益を生み続けるために仕組んだ消費サイクルの中で踊らされていただけなのではないか。自分の意思ではなく、業界の意思によってお洒落させられていたのではないか。
そのような疑問を持つようになってから、だんだんと馬鹿らしくなり、流行から距離を置くようになった。
相対してクラシックスタイルは、流行り物として消費されずに残ってきた。クラシックたり得たのは、そこに普遍的な美が宿っているからだろう。
今の私はテーラーに通い、生地選びから自分で行い、ジャケットやトラウザーズをオーダーしている。モダンな要素は多少あっても、クラシックから大きく逸脱することはなく、流行とも無縁だ。
懇意のテーラーは「十年以上着られる服を」と謳っている。実際、私は破れて着られなくなるまで着続けるだろう。仕立てた服は、最後まで飽きずに着られると確信している。
テーラーの店主は、オーダーした服を着ていくと「素敵に着ていますね」と言うことはあっても、「懐かしいですね」とは言わない。十年経った服なら「大切に着ていますね」と言うかもしれないが、それは先述のケースとは意味がまったく異なる。
今は一見シンプルで流行り廃りのなさそうな服が好まれる傾向がある。しかし、その多くはファストファッションであり、短期間での買い替えが前提になっている。むしろ、そのサイクルは加速してしまっている。
私はそうした流れとは距離を置き、流行り廃りがなく品質の良いものを、愛着を持ちながら長く着たい。それが今の私のお洒落のかたちである。

