京都の中心街を歩いていると、路地のあちこちに祠(ほこら)がある。ほかの町でも見かけないわけではないが、京都はとりわけ数が多い。何度か訪れるうちに、次第にそれが気になりはじめた。
ただ、周囲の人がそれに目を留めている様子はない。気にしているのは、どうやら自分だけのようだった。
四条駅、烏丸御池駅、大宮駅に囲まれた一帯は、古い町家も残るエリアで、路地には小さな祠が点在している。その祠を改めて観察してみると、造りはさまざまだ。
だが、多くの祠に共通しているのは、「卍」の印がどこかに施されていることだ。台座、柵、提灯――施されている場所は様々だ。



卍は、仏教とともに日本へ伝わった印である。祠という存在自体はそれ以前からあり、日本に限らず、世界各地に類似の形が見られる。
日本でも、仏教伝来より前から祠のようなものが存在しており、やがて神道の広まりとともに、小さな神社のような位置づけになっていったのだろう。現代の日本人の多くも、祠をそのようなものとして受け止めているのではないか。私自身も、そう思ってきた。
京都市街地の祠には、地蔵を祀るものや、ミニチュアのような銅鑼が添えられているものもあり、仏教の影響が色濃く現れている。仏教伝来以後、日本では神道と仏教が交わり合い、やがて神仏習合という文化が広まった。京都の祠もまた、その延長線上にあるのだろう。

念のため付け加えると、京都市街地にも卍の印が見当たらない祠がある。私の見た限りでは、そうした祠には、地蔵や銅鑼といった仏教的な要素は見られなかった。おそらく、こちらは日本の神を祀ったものなのだろう。

京都市街地の道祖神を祀る祠。卍は見当たらず、神棚には榊が供えてある。
これだけ街中に祠があるにもかかわらず、町の人が通りすがりに手を合わせる姿を、これまで見かけたことはない。もともと、そういう性質のものではなかったのか。それとも、時代の流れの中で、そうした習慣そのものが薄れてしまったのか――。
もっとも、たいていの祠には水や花が添えられているので、そのときには静かに手を合わせているのかもしれない。
京都に暮らす人にも尋ねてみたが、「そう言われてみれば、あちこちにありますね」と、どこか人ごとのような返答が返ってくるばかりで、いまひとつ深くまでは掘り下げられずにいる。