熊野から都心へ出るには、特急電車に乗っても三時間はかかる。地方や田舎が目的地なら、さらに公共交通機関を乗り継ぐ必要がある。旅が好きなら、本来はもっとアクセスのよい街に住むべきだろう。
例えば名古屋。新幹線で東にも西にも出やすく、中部国際空港から飛行機で北海道や沖縄へも行ける。実際、私も名古屋にはよく足を運ぶ。混雑しすぎず、私にとってちょうどいい都会だ。
同じ理由で、神戸も気に入っている。再び都市に住むなら有力な候補の一つだ。名古屋より西寄りだが、新神戸駅から新幹線に乗れ、関西空港からも飛べる。旅の拠点として申し分ない。

それでも、私は熊野に住み続けたいと思っている。自然に囲まれた熊野の魅力を語るより、そこへ帰りたくなる自分の気持ちを語るほうが早いだろう。
どこへ旅しても、最終日には「そろそろ熊野に帰るか」という気持ちになる。この感覚は、かつて住んでいたどの街でも抱いたことがなかった。以前は旅に出ると、旅先が気に入れば気に入るほど、帰りたくないと思ったものだ。
だが今は違う。青い海に囲まれ、南国気分を味わえる沖縄ですら、最終日には「熊野に帰るか」という気分になる。たとえ、都市に住んでいた頃より帰路に倍の時間がかかろうとも、気持ちは変わらない。

都市に戻ると、日常に引き戻される感覚がある。すぐに慣れるとはいえ、帰ってきた日には、どこか気が滅入った。
熊野に戻ったときには、不思議とそれがない。都市の生活が長かった私にとって、熊野に帰ることは、帰宅というよりも、もうひとつの旅に出るような感覚にとらわれているのかもしれない。
別の記事でも触れたが、田舎暮らしは変化がないと思われがちだ。しかし実際は、四季の移ろいが都市よりも濃く感じられる。私は、単調さや退屈を感じたことがない。
いっとき「ノマド」という言葉が流行った。私も一時は憧れた。いつか経済的に余裕ができたら、ホテル暮らしも悪くないと思っていた。
だが頻繁に旅をするようになると、やはり帰る場所は必要だと感じるようになった。自炊を含めた日々の暮らしも、自分にとっては大切なことだった。熊野では、季節とともに地元の食材も変わる。その変化もまた、今の自分にとっては人生の彩りのひとつだ。
これまで各地を旅してきたが、熊野以上に住みたいと思える場所には、まだ出会っていない。この心情こそが、私が熊野をよほど気に入っている証なのだろう。
