先日、旅好きの知人と「旅の何がおもしろいのか、何が目的なのか」と問われると答えにくい、という話になった。
もちろん旅は楽しい。しかし、具体的に何が楽しいのかと問われると、言葉に詰まる。
私の場合、目的はあってないようなものだ。行ったことがないから行ってみる。以前訪れてよかったから、もう一度行く。その程度の動機で十分だ。何をするかは現地に着いてから気の向くままに決める。
一人旅に出る頻度は月に一度以上。一般的には稀な部類だろう。多くの人は年に一度、家族や友人と出かけることが多い印象だ。
一人旅を趣味とする人は身近には少ない。SNSを見れば一人旅の投稿は目につくが、アルゴリズムが私の関心に合わせているに過ぎない。
観光地であれば「何がおもしろいの?」と問われることはないだろう。情報が豊富で、誰にでも理解しやすいからだ。私も観光地に行くことはあるが、混雑を避けて時期をずらすようにしている。シーズンオフの方が落ち着いて過ごせる。
ここ数年、冬に宮古や石垣島を訪れている。観光客は少なく、海は変わらず美しい。体感としては本州の春に近く、束の間、寒さから解放される。天候はやや不安定だが、むしろ空いている分、快適に過ごせる。
冬に沖縄へ行く意味を見いだせない人もいるだろう。しかし、そう思う人が多いからこそ、私は静かな南国を楽しめている。マリンスポーツに関心はないが、南国の風景と空気、食事と酒があればそれで十分だ。

書き出してみると、私が旅で求めているのは「自分だけの楽しみを見つけること」だと分かる。
SNSで流れる「○○に行くならこの店」というショート動画や、ガイドブックで星を取った有名店を追いかけることには興味がない。それは旅というより確認作業に見える。
私は飲食を楽しむが、有名店を網羅することに意味は感じない。むしろ偶然の出会いがある方が面白い。
とはいえ、全く下調べをしないわけではない。初めて訪れる土地では、地図アプリで候補を見つけ、料理や酒の写真を確認し、自分の好みに合うかを判断する。それでも外すことはあるが、失敗談も旅の一部だ。
気に入った店に出会えば、店の人に次を尋ねる。そうして紹介された場所は、名の知れた店でなくとも満足できることが多い。
気に入った街は、一度きりではなく、繰り返し訪れる。行きつけの店や、毎回立ち寄る風景。自分なりに楽しめる場所が、再訪の旅を豊かにしてくれる。
旅を続けるほどに、地域ごとの違いにも敏感になる。気候や風景、食文化。知ったからといって役に立つわけではないが、そうした差異に気づくことも旅を豊かにしてくれる。
観察し、感じ取る行為は、私にとっては一種のマインドフルネスだ。
自分なりの楽しみを各地に構築していくこと。これこそ一人旅の醍醐味だ。一人だからこそ、誰に合わせる必要もなく、自分が楽しいと思うことを基準に動ける。
ただ、その「自由で気ままな旅」は、意外に難しいのかもしれない。意味や役立ちを基準にしなければ、何を拠り所に動けばいいのか。時間や金の無駄ではないか。そう考える人も多いのだろう。
もちろん、ある程度の下調べは必要だ。だが、情報化社会は旅の計画性を高める一方で、費用対効果ばかりを意識させるようになった。それでは、自分なりの楽しみを見つけることはできない。
他人の注目を狙って撮影する旅も、同じことだ。むしろ旅の時だけはSNSから離れ、無駄とも思える時間を過ごした方がいい。
一人旅は、非効率と無駄の塊だ。行き当たりばったりで立ち寄る場所や、何もせず過ごす時間こそが、自分だけの記憶になる。その豊かさを知る人は多くない。
旅の時くらい、意味や役立ちから自由でありたい。
