旅の写真を撮るのが好きだ。誰もがスマートフォンで写真を撮る時代に、「写真好き」と言っても、もはや特別なことではない。それでも、一眼カメラでRAW撮影をし、現像や編集まで自分で行う者は少数派だ。その意味では、やはり自分は写真好きの部類に入るのだろう。
SNSで他人の写真を見て、「良い写真だ」と思うことはある。だが、そのアカウントをフォローし、継続的に眺めたいとは思わない。繰り返し見返すのは、いつも自分の写真ばかりだ。
自分の写真に、芸術性や強いメッセージ性を込める気はないし、他人の写真にもそれを求めていない。
日常や旅先で、撮りたくなったときに撮る――いわゆるスナップ撮影が自分のスタイルだ。編集するのは、記憶の印象に近づけるためであり、見栄えを狙った加工はしない。
自分の写真には、自分の体験が詰まっている。旅先で撮った一枚を見返せば、そのときの空気、気温、匂いのようなものまでよみがえることがある。
他人の写真には、それがない。そこにあるのは、他人の体験の断片であり、自分にとってはどこまでいっても傍観にすぎない。深く入り込めないのは、当然だと思っている。
私の写真は、SNSで「いいね」がつくことは少ない。つまり、客観的には魅力がないということなのだろう。それでも構わない。他人の称賛を得たいわけではないからだ。そういった領域は、すでにAIが担い始めている。今さら自分がそこに加わる理由もない。
そういう時代にあって、人に見せることを前提とした撮影や編集で、自分の体験を薄めてしまうのは、惜しいと思っている。あとで見返したときに、後悔するだけだ。

来間大橋。自転車で橋を渡り、来間島の高台から眺めたときの記憶が蘇る。

来間大橋からの眺め。初めて訪れたとき、とても感動したのを覚えている。