南紀熊野で暮らし、折を見て日本各地を旅するようになった。そのうちに気づいたのは――熊野の山々は、他所よりも青々しく、美しく見えるということだった。

最初は、私が熊野を好んでいることによる認知バイアスかもしれないと疑った。しかし、旅を重ねるうちに、どうやらそれだけではないようだと思うようになった。

たとえば、4月に訪れた長野では、秋から冬にかけて落葉した山々が、春になってもまだ芽吹かず、茶色い木々が並んだままだった。

それに対して熊野の山は、常緑樹が多く、冬でも一面が緑に覆われている。紅葉の名所には乏しいが、裏を返せば、それだけ葉を落とさないということだ。結果として、山全体が葉を保ったまま冬を越す。

https://storage.googleapis.com/contents.kuma2zen.blog/photos%2Fgen%2F0df8c027-1837-4ea5-a32e-759a284e934c-1440.jpg

11月下旬の山の様子。緑を保ち、紅葉はほぼ見られない。

春になると、越冬した葉の上に新たな新緑が芽吹き、いくつもの層をなしていく。その重なりが山の緑を濃くし、遠目には青みがかって見える。葉の密度が高いせいだろう。日当たりの良い斜面では、さらに密度が高く見える。おかしなことだが、それはブロッコリーを思わせるような形をしている。

私が熊野の山を、他の地域より青々しく感じた理由は、おそらくここにある。調べたところ、四国や九州南部の山々も常緑樹が多いらしい。

高知市や宮崎市には行ったことがある。だが、いずれも市街地の平野部が広く、山に囲まれている印象は薄かった。そのせいか、山の青さに心を引かれるようなことはなかった。山間部へ足を運べば、同じように感じるのかもしれない。

https://storage.googleapis.com/contents.kuma2zen.blog/photos%2Fgen%2Fe02a0ddb-9695-4e47-84c7-beb4c3c1a1d2-1440.jpg

宮崎市の高台からの眺め。遠方に中心街が見える。

冬の終わりを告げる山桜の彩りも美しい。だが、それが散ったあとの、新緑の彩りもまた美しい。越冬した葉の濃い緑を覆うように、いくつもの新緑が混ざり合う。木の種類や芽吹きの時期の違いが、色の重なりを生んでいるのだ。春の陽気を帯びたその緑の景色に、私は毎年、心を惹かれている。

https://storage.googleapis.com/contents.kuma2zen.blog/photos%2Fgen%2Fb15ff755-9789-4302-8339-e8b4827e4ea6-1440.jpg