飲食店巡りは、旅の楽しみのひとつだ。
いつも一人旅なので、当然ながら食事も一人ですることになる。だが、それは仕方なくそうしているのではない。むしろ、私は一人で食事がしたいのだ。
ただし、ドラマ『孤独のグルメ』のようなスタイルとは少し違う。主人公はお店の人と必要最低限のやりとりしかしない。近い距離で話しかけられると、戸惑ったような表情を浮かべることすらある。
あくまで一人で静かに食事を味わうという美学。それもひとつの中年男のスタイルだが、私とは趣が異なる。
私も食を味わうことを主目的としているが、お店の人との会話もまた楽しみのひとつだ。一見の店でも、こちらから話しかけることが多い。
『孤独のグルメ』の主人公は下戸という設定だが、私は酒もよく飲むし、酒の話をするのも好きだ。
私は飲食店で、食や酒を通じて話す時間を楽しんでいる。旅先で街のことを尋ねたり、他の店を紹介してもらうこともある。馴染みの店では世間話をするが、私が求めているのは、知らない話、新しい話だ。
この飲食店巡りのスタイルは、いつしか自分にとって当たり前になった。気がつけば、世間一般の「外食」の目的とは、すっかり違うものになっていた。
『孤独のグルメ』が一人飯のスタイルを広めたとはいえ、個人経営の飲食店で、カウンターに一人で座る人は少数派だ。特にこだわりのある店は、一人では入りにくいと感じる人も多いだろう。
オーセンティックなバーで一人飲みをする客は珍しくないが、そもそもそのようなバーに通う人間自体、少数派だ。

私も会社員だった頃は、外食といえば同僚と連れ立って行くのが普通だった。酒を酌み交わし、仕事やプライベートの話をする。それはそれで楽しかった。だが今振り返ると、そうした外食では、食は主役ではなかった。
お店の人も、客同士の会話には基本的に割って入らない。だから、お店の人と話すこともなく、ただ「美味しかったね」と同僚と感想を交わし、店を後にしていた。
会社を辞めてからは、一人で飲食店に行く機会が増えた。他人の都合に合わせることなく、自分が行きたい時にふらりと行ける。その気楽さに、すぐ馴染んだ。
気楽さから始まった一人飯だったが、次第に、食や酒にきちんと向き合うようになっていた。
一人で行けば、店の人が話しかけてくることもある。そうして会話を交えながら、料理や酒の背景、店の考えに触れる時間が生まれる。それが、外食に深みを与えてくれたのだ。
このような経緯を、私はすっかり忘れていた。あらためて、自分の外食スタイルを世間のそれと照らし合わせて、言語化しておきたいと思い、これを書いている。
かつての自分がそうであったように、多くの人にとって飲食店は、「いつもより少し贅沢な空間」であり、「誰かと語らう場所」でもある。料理は会話の脇役であり、あくまで主役は一緒に過ごす相手なのだ。
そのことに気づいたとき、私はもうそこへは戻れないと感じた。だが同時に、いまの自分の外食スタイルは、より深く飲食を味わう方法でもある――そんな自負もある。
