先日、某SNSを見ていると、老眼で読書を諦めたという話を見かけた。遠近両用眼鏡を常用し、読書もしている私からすると、もったいないように思えた。遠近両用眼鏡の存在は、広く知られているはずだ。
老眼になったという人に遠近両用眼鏡を勧めたことがある。しかし、その人もどうも乗り気ではないようだった。遠近両用眼鏡を常につけることに抵抗があるのだろうか。私からすると、老眼のまま生活する方がよほど不便だと思うのだが。
見ず知らずのSNSユーザーはもちろん、知人とはいえ、あまりあれこれ言うのは余計なお世話というものだ。よって、ここに書いておくことにする。
中年になると老眼になる人は一定数いる。私もその一人だ。40代ごろからモニターの字を読むとき、眉間に皺を寄せて見るようになっていた。定期的な視力検査では視力は1.5のままだったので、老眼になっていることに気づいていなかったのだ。
いや、気づいていなかったというより、認めたくなかったのだろう。視力が良いことには自信があった。長時間モニターを見る仕事を長年続けても、視力は悪くならなかった。それもあって、自分の目は衰えないものだと思い込んでいた。
それに「老眼」という響きには、老いの気配がある。それを認めることは、自分も老いていくという事実を認めることでもある。私は、それを受け入れたくなかったのだろう。
あるとき、ついに老眼であることを受け入れ、老眼鏡をかけてみた。すると、くっきりとモニターの字が見えた。かつては、このように見えていたことを思い出したのだった。
ただし、老眼鏡は遠くを見ると視界がぼやけ、常につけるには不便で、危険もあるように思えた。検索して、すぐに遠近両用眼鏡の存在を知った。早速、眼鏡店へ行き、オーダーした。仕上がったものを着けると、すぐに気に入った。
遠近両用眼鏡は、人によっては慣れるまで時間がかかり、ふらつくこともあるらしい。しかし、私はそのようなことはなく、すぐに違和感なく慣れてしまった。遠くも近くも自然に見える。強いていうなら、映画館の最後部の席でスクリーンを見るときは、遠近両用眼鏡をしない方が見やすいというくらいだ。
ちなみに、遠近両用眼鏡を買った時、私はすでに度なしの眼鏡を常用していた。理由は、目の保護のためと、服装とのコーディネイトのためだった。新しい習慣を身につけるわけではなかったので、抵抗なく受け入れられた。なぜ、もっと早く買わなかったのかと思ったくらいだ。
老眼は年齢とともに進行するので、定期的な測定と、それに応じたレンズの交換が必要になる。最初は量販店で手頃な価格のものを購入したが、今は鯖江の国産フレームの眼鏡を愛用している。
ただ、最初の一本は量販店のもので十分だと思う。まずは遠近両用眼鏡が自分に合うか試してみる。そのうえで気に入れば、フレームやレンズにこだわればよい。
振り返ると、私にも老眼を受け入れることへの抵抗はあった。しかし、実際に遠近両用眼鏡を使ってみると、手放せないアイテムになった。これを読んで迷っているのであれば、まずは手頃な価格のものから試してみてはいかがだろうか。

